『論語』とは、孔子本人が書いたのではなく、孔子の死後、彼の弟子たちが書き付けていた言葉や問答を取りまとめたものです。
仕事をしていると次から次へと心配なことが出てくる。うまくいってもいかなくても心配というのは付きまとうものである。そのような人を、器の小さい人とみなしてしまうこともある。心配なことに振り回されず、自信を持って仕事をするためにはどうすればよいのだろうか。
【原文】
子曰、鄙夫可與事君也與哉。其未得之也、患得之。既得之、患失之。苟患失之、無所不至矣。
陽貨第十七 5
【読み】
子 曰く、 鄙夫は 与に 君に 事う 可けんや。 其の 未だ 之を 得ざるや、 之を 得んと 患う。 既に 之を 得れば、 之を 失わんことを 患う。 苟くも 之を 失わんことを 患うれば、 至らざる 所 無し。
【解釈】
孔子先生がおっしゃった。
低俗な人とは、到底、一緒に君に仕えることができないだろう。そういう人は、まだ地位を得ないうちは、それを得たいと心配し、一旦それを得ると、それを失うまいと心配する。そして、それを失うまいと心配しだすと、今度はどんなことでもしかねないのだから。
孔子は、官位・俸禄に対する欲深さを嫌ったが、それと同等以上に、いったん手に入れた既得権益への執着心を軽蔑していた、ということである。既得権益にしがみつく小人の為政者・官吏は、それを守るためにどんな愚劣なことでもやりかねないという危惧の念を述べているのである。
【ワンポイント・アドバイス】
人の欲は深く尽きることを知らないし、いったん手にいれた既得権益を守ろうと、自己中心的な発想になりがちである。特に岡山の中で仕事をしていると、市場が限られるために受注した仕事を守ろうと必死になってしまう。また、自分の努力不足から不安が生まれたり、関係している人を疑ったりしてしまうこともあるだろう。このようなことは、岡山の中に限らず、あらゆる場面で起こりうることである。
既得権益を守るということを目標にするのではなく、相手の満足や感動を追求し、顧客からの良い評価をもらうことを目標にすべきではないだろうか。そのためには、自分の持てる能力を十分に発揮し、自分が納得できる仕事をし、自信を創り出していくことが必要である。
自信を持った先輩であれば、少しでも後進の育成に努め、同じ志を持って働こうという人を暖かい目で迎え育てようとする。同時に、後進に負けないように自己研鑽を積む。その積み重ねが、自身の人生や仕事の目的を達成することにつながり、世の中が良くなっていくのではないかと思う。曇りのない心で関係する人の満足を追求するのが経営ではないかと思う。
自分の納得いく仕事や人生を実現したい方がいらっしゃいましたら是非ともお声かけください。共に理想に向かって考え行動していきましょう。今まで体験したことの中から大切だと感じたことを発見し、自身の経営理念やフィロソフィーを作ってみたいという方、もっともっと素晴らしい経営を実現したい方は、是非お声かけくださいませ。