『論語』とは、孔子本人が書いたのではなく、孔子の死後、彼の弟子たちが書き付けていた言葉や問答を取り集めて編集したものです。
仕事をしていると、社内外で争いごとが起こります。仕事の“取った、取られた”を繰り返し、自社の生き残りをかけて戦うのが経営であるという考え方もあります。場合によっては、相手に敵対的な行動をして打ち負かしてやろうと考えることもあるかもしれません。しかし、それは経営の本来の目的とは違うのではないでしょうか。どのような考え方に基づいて経営をするべきでしょうか。
【原文】
子曰、君子無所爭。必也射乎。揖讓而升下、而飮。其爭也君子。 八佾第三 7
【読み】
子 曰く、 君子は 争う 所 無し。 必ずや 射か。 揖譲して 升下し、 而して 飲ましむ。 其の 争いや 君子なり。
【解釈】
孔子先生がおっしゃった。
「君子は争わない。争うとすれば弓の競射ぐらいなものであろう。それもゆずりあって射場にのぼり、勝負がおわると射場を下って仲良く酒をのむ。争うにしても君子らしく争うのだ」
経営を行っていれば競合企業というものは存在しており、自社の生き残りをかけて、製品やサービス、販売促進等のレベルでしのぎを削って戦います。しかし、相手を叩き潰すような争いはしないということです。
君子、すなわち素晴らしきリーダーはお客様のために努力や工夫を競いますが、相手自体を憎んで戦うことはありません。たとえ一時は負けたとしても、あきらめずに立ち上がり、またさらに良いものを生み出すことで、社会や顧客により高い価値を生み出すことが大切なのです。
【ワンポイント・アドバイス】
スポーツマンシップという言葉が思い浮かばないでしょうか。戦争や経済問題など、国際関係上の問題はありますが、「人間の限界にチャレンジするスポーツ」での戦いは、極めてさわやかで、国や人種、宗教の違いを感じさせません。そこには互いの人間としての存在を承認するという、人として最も大切なスタンスがあるからであると思います。
「道」という言葉がありますが、空手と空手道は違います。技の上達や試合に勝つことを目的とするのが空手、技の上達や勝ち負けを手段として「人間としての成長」を目的とするのが空手道です。「人間としての成長」というのは、共に生きる人に対する心のわだかまりのようなものを捨てて、正々堂々と自らの心と体を鍛えることだと思います。スポーツ選手にはスポーツ選手、経営者には経営者としての「道」を究めていくということでしょう。
自身の経営に関する「道」を明確にし、経営者の人生をより豊かにする経営理念やフィロソフィーを作ってみたいという方、もっともっと素晴らしい経営を実現したい方は、是非お声かけくださいませ。