『論語』とは、孔子本人が書いたのではなく、孔子の死後、彼の弟子たちが書き付けていた言葉や問答を取りまとめたものです。
従業員を育成するのは難しいという言葉を良く聞きます。特に意識、つまり心を成長させることに対して、あきらめを感じている経営者の方も多いと思います。しかし、経営者の関わりによって素晴らしく心の成長を果たした従業員の方を何人も見てきました。その人の心の変革を起こしたものは何なのでしょうか。
【原文】
子夏問曰、巧笑倩兮、美目盼兮、素以爲絢兮。何謂也。子曰、繪事後素。曰、禮後乎。子曰、起予者商也、始可與言詩已矣。
八佾第三 8
【読み】
子夏 問いて 曰く、 巧笑倩たり、 美目 盼たり、 素 以て 絢を 為すとは、 何の 謂いぞや。 子 曰く、 絵事は 素を 後にす。 曰く、 礼は 後なるか。 子 曰く、 予を 起す 者は 商なり。 始めて 与に 詩を 言う 可きのみ。
【解釈】
子夏が孔子に質問した。
「笑えばえくぼが愛くるしい。目はぱっちりと澄んでいる。それにお化粧が匂っている」という詩は、どういう意味でありましょうか。孔子は、「絵の場合で言えば、見事な絵が書けて、白色の顔料である胡粉で最後に仕上げをするようなものだ」と言った。子夏は「すると礼は人生の最後の仕上げのようなものなのでしょうか」と質問すると、孔子は「商(子夏)よ、おまえは私の言わんとしていることを啓発してくれる。それでこそ共に詩を語り合えることができるというものだ。」と伝えた。
【ワンポイント・アドバイス】
孔子は、詩の中にある核心の部分を弟子と語り合えるようになったこと、つまり弟子の成長を喜んでいるように感じます。私たちにとっても従業員の成長は非常にうれしいことですし、そうしなければ会社の発展はままならないと思います。そのために日々私たちは、部下たちに成長するということに対する価値観やポリシーを伝え続けなければならないのです。部下の無限の可能性を信じることが大切だと思います。
また、心の成長、つまり物事の核心をつかみ行動できるようになるためには、私利私欲や先入観・固定概念に惑わされることなく、世の中を澄み切った心で見なければなりません。また、成長するということを急ぎ過ぎると、焦りや苛立ちなどが生じ、かえって人としての成長を阻害してしまいます。じっくりと目の前の物事や人に向き合い、自身の感情やその意味を味わうための振り返りを促すことが有効です。
詩のなかにもあるように、心の成長という見事な下地を作り、そして仕上げを施すことで更に美しく完成されるような素晴らしい人生という絵を描いていきたいものです。事業や人生のキャンパスに自分のもつ経営理念を美しく描きたい方がいらっしゃいましたら、ぜひお声かけくださいませ。