『論語』とは、孔子本人が書いたのではなく、孔子の死後、彼の弟子たちが書き付けていた言葉や問答を取りまとめたものです。
企業を経営していると、共に働く人と微妙なズレのようなものを感じることが多々あります。そのズレは最初のうちは気にならないのですが、徐々に大きくなったり、元に戻らなくなってしまったりし、修復不能になることもあります。そのことは、どうして起こり、どうしたら起こらなくすることができるのでしょうか。
【原文】
子曰、可與共學、未可與適道。可與適道、未可與立。可與立、未可與權。
子罕第九 29
【読み】
子 曰く、 与に 学ぶ 可きも、 未だ 与に 道に 適く 可からず。 与に 道に 適く 可きも、 未だ 与に 立つ 可からず。 与に 立つ 可きも、 未だ 与に 権る 可からず。
【解釈】
孔子先生がおっしゃった。
「共に同じ道理・教えを学ぶことはできても、共に同じ道を実践することは中々できるものではない。共に同じ道を実践することはできても、同じ認識に立つことは更に難しい。認識を共有することはできても、同じ意識で運命を共にすることのできる人物は、そう滅多に得られるものではない」
【ワンポイント・アドバイス】
共に学ぶことからスタートしたとしても、人によってその学びの深さというのは異なるということが描かれています。孔子はたくさんの弟子を持ちましたが、ここでは弟子達の言行を見続けてきた中で感じたことを語っているのではなく、【学ぶ→適(ゆ)く→立つ→権(はか)る】という言葉を使って、「人間としての成長の度合い」を語っているのではないかと思います。
経営の中で部下を見る、あるいは、家庭で妻や子供たちを見ると、なかなか伝えたことの本質的な理解が出来ていないと感じる時もありますし、人としての心の成長が出来ていないと感じることもあります。そして、最終的には運命を共にできるかどうかということになり、非常に残念な結果になることもあるのではないかと思います。
「共育」という言葉があります。私達、経営をする者はどうしても経営者としての視点で部下達に責任を転嫁しがちな面がありますが、人としての成長を果たすべきは、常に自分であるべきではないでしょうか。私たちの心の成長が部下たちの心の成長につながり、共に学ぶことで生まれた心のつながりによって共に生きることができるのです。素晴らしい心がさらに素晴らしい心を生み出すという良い循環を生み出すために、経営理念を中心に置いた理念型経営を実践してみませんか。共に経営のよろこびを味わえることを心待ちにしております。