『論語』とは、孔子本人が書いたのではなく、孔子の死後、彼の弟子たちが書き付けていた言葉や問答を取りまとめたものです。
経営をしていると部下との会話に物足りなさを感じることがないだろうか。同じ考え方であるのは非常に良いことではあるが、部下の想像力ややる気が生かせていないと感じることも多々あるのではないだろうか。部下が会社のための創意・工夫を重ねることができるマネジメントとはどのようなものなのだろうか。
【原文】
子曰、回也、非助我者也。於吾言無所不説。 先進第十一 3
【読み】
子 曰く、 回や 我を 助くる 者に 非ざるなり。 吾が 言に 於いて、 説ばざる 所 無し。
【解釈】
孔子先生がおっしゃった。
『顔回(顔淵)は、私の学問を助ける者ではない。私の言う言葉を批判的に吟味することなく、喜んで聴いているだけになってしまうからだ。』
孔子が最も強く将来を期待した弟子が顔淵(顔回)であるが、顔淵は孔子の理想とする境地と同じ境地に立っていたので、孔子の主張や思想に対して批判的な解釈をすることがなかった。そのため、孔子と顔淵が議論しても「反論的な意見」をすることができず、そのことを孔子は学問的な立場から物足りなく感じてしまったということである。
【ワンポイント・アドバイス】
部下との関係において考え方が同じということならばまだ良いが、いわゆる無関心圏が広くなり、仕事に対する自分の意見が全くないというのは考え物である。指示命令型のリーダーシップが強くなりすぎると、部下の依存心が強くなり、自分で考えるということを放棄してしまうということがよくある。別の言い方をすると、会社とプライベートとは全く別物となり、仕事は他人事になるということである。経営者としては、最も悲しいことではないだろうか。
このようなことを無くしていくためのポイントは2つある。1つ目は、経営理念や経営戦略を明確に提示し、その上で部下の目標設定を行い、達成の仕方については任せる。プロセスに対するフォローではなく、目標の達成度を徹底的に追及するために、エンパワーメント(権限移譲)するということである。2つ目は、部下の成熟度に合わせる必要があるが、仕事を完全に任せるということであり、経営者や上司が完全に手を放すということである。少しでも関与すると部下に依存心が出て仕事が中途半端になる。仕事に関与する人が自分しかないということと、その仕事の目的や重要性を十分に理解させなければならない。そして、一旦任せたら部下の考え方を尊重したり、場合によっては、お互いに納得いくまで議論を重ねたりすることが大切である。
部下との考え方のベクトルを一致させ、そして、目標達成の方法についての部下の自律的な思考や創意・工夫を引き出す経営を実践したいという方がいらっしゃいましたら、是非ともお声掛けくださいませ。経営理念と経営戦略に沿った自律的に機能する組織作りに一緒に取り組んでいきましょう。