『論語』とは、孔子本人が書いたのではなく、孔子の死後、彼の弟子たちが書き付けていた言葉や問答を取り集めて編集したものです。
最近の若い人は消極的で人と関わる力が弱いという話を良く聞く。コミュニケーション力の問題だとよく言われるのだが、その背景には、その人が生まれ育った環境やその中で育まれたものの考え方が存在していると考えられる。それでは、どのような考え方を身につければよいのだろうか。
【原文】
子貢曰、如有博施於民、而能濟衆、何如。可謂仁乎。子曰、何事於仁。必也聖乎。堯舜其猶病諸。夫仁者、己欲立而立人、己欲達而達人。能近取譬。可謂仁之方也已。
雍也第六 28
【読み】
子貢 曰く、 如し 博く 民に 施して、 能く 衆を 済うもの 有らば、 何如。 仁と 謂う 可きか。 子 曰く、 何ぞ 仁を 事とせん。 必ずや 聖か。 尭舜も 其れ 猶お 諸を 病めり。 夫れ 仁者は 己 立たんと 欲して 人を 立て、 己 達せんと 欲して 人を 達す。 能く 近く 譬えを 取る。 仁の 方と 謂う 可きのみ。
【解釈】
子貢が先師に尋ねていった。
もしひろく恵みを施して民衆を救うことができましたら、いかがでしょう。そういう人なら仁者といえるでしょうか。孔子先生がこたえられた。それができたら仁者どころではない。それこそ聖人の名に値するであろう。堯や舜のような聖天子でさえ、それには心労をされたのだ。いったい仁というのは、何もそう大げさな事業をやることではない。自分の身を立てたいと思えば人の身も立ててやる、自分が伸びたいと思えば人も伸ばしてやる、つまり、自分の心を推して他人のことを考えてやる、ただそれだけのことだ。それだけのことを日常生活の実践にうつしていくのが仁の具体化なのだ。
【ワンポイント・アドバイス】
弟子である子貢と孔子との会話である。「己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す」なる文言は、顔淵第十二と衛霊公第十五にある「己の欲せざる所は人に欲すること勿れ」程には知られていないが、実はどちらも子貢に対して孔子が語った言葉である。
私たちはこの二つをセットで覚えておく必要があるだろう。「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」で半人前、「己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す」が加わって一人前となるということだ。要するに、「人様に迷惑をかけてはならない」といわれて育てば、いつも周りが気になる消極的な人間になるし、逆に、「人に喜ばれることをやりなさい」といわれて育てば、親切の押し売りを美徳と勘違いした独善的な人間になる。だから、両方必要なのである。
経営理念に沿った経営を実践したい方がいらっしゃいましたら、是非ともお声かけくださいませ。一緒にのびやかな想いを表現し、自分を戒めながら理想を求め、素晴らしい経営を共に実現していきましょう。