『論語』とは、孔子本人が書いたのではなく、孔子の死後、彼の弟子たちが書き付けていた言葉や問答を取り集めて編集したものです。
経営マネジメントは非常に難しいという声をたびたび聞くことがあるが、多くの経営者の方が、経営目標の達成に苦慮しているということかもしれない。これは部下の目標達成に関するコミュニケーションが適切でなく、そのことにより自律性が低くなっていることなどが原因として考えられる。では、どうすれば目標達成マネジメントがよりよいものになるのだろうか。
【原文】
子貢問、師與商也孰賢。子曰、師也過。商也不及。曰、然則師愈與。子曰、過猶不及。
先進第十一 15
【読み】
子貢 問う、 師と 商と 孰れか 賢れる。 子 曰く、 師や 過ぎたり。 商や 及ばず。 曰く、 然らば 則ち 師 愈れるか。 子 曰く、 過ぎたるは 猶お 及ばざるがごとし。
【解釈】
子貢がたずねた。師(弟子の子張)と商(弟子の子夏)とでは、どちらがまさっておりましょうか。
孔子先生がこたえておっしゃった。子張は何でもやり過ぎの傾向が強い。商は少しやり足りない傾向が強い。
子貢が更にたずねた。では、子張の方がまさっているのでございましょうか。
すると、孔子がこたえられた。やり過ぎるのはやり足りないのと同じである。
【ワンポイント・アドバイス】
これが有名な『過ぎたるは猶及ばざるがごとし』の出典となった文章である。度の過ぎたものはし足りないのと同じように、どちらも適切でないという意味で今日も使われている。要するに適切という、中庸を得ることが重要であるということである。
個々での登場人物である子夏・子游・子張の三人はほぼ同世代で、孔子門下では学問上の良きライバルだった。その中でも子夏と子張はよく議論しており、子張第十九では、三者がそれぞれに自説を主張し合う場面が見られている。更に、子張は生意気な所があり、先輩の子貢は、子張・子夏二人の後輩に対する孔子の評価を知りたかったと思われる。子貢もやりすぎのところがあったので、その戒めでもあったようである。
部下や子供を育成するときに、やりすぎれば過干渉・過保護になるし、やり足りなければ、無関心・中途半端になる。この解決策は、やはり方針と目標による管理ではないだろうか。方針というのはものの考え方や行動を規定するものであり、目標というのは方針にのっとって達成すべき指標で、組織と個人の接点となるものである。目標の達成方法は本人に任せ、自己統制を図るものである。自分で考え達成するということに意味を持たせ、本人のモチベーションを高めることで過保護や過干渉を防ぐことができるだろう。
経営理念や戦略を策定し、その方針を元に、部下がやりがいを感じながら自らの力でそれを達成していくマネジメントを実践したい方がいらっしゃいましたら是非ともお声かけください。効果と効率を高める自律型組織を作り上げていきましょう。