『論語』とは、儒教を基本的な考え方としたものであるが、孔子の合理的思想により、死後の世界を語ることを排除することで、実学として定着してきた。様々な思想家によって語り継がれ、今なお日本人の思想の奥底にしっかりと定着している。これらを改めて見直すことで、日本的経営の素晴らしさを取り戻していきたいものである。
【原文】
子曰。不患人之不己知。患不知人也。 学而第一 16
【読み】
子曰く、人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり。
【解釈】
孔子先生がおっしゃった。
「他人が自分の能力・学識を認めてくれないことをくよくよと気にしたり、心配したりするのではなく、他人の能力・賢愚を知らないことを心配したほうが良い。」
自分のことを分かってもらえないのは、相手があることだから仕方がないことではある。能力があるからといって、その能力が相手にとって必要なものであるとは限らないし、学識についても同様である。しかし、人は分かってもらえなければ、「相手が悪い」だとか、「相手に能力がない」などというように言いたくなる。つまり、自分ではなくて相手が悪いといって、「他責」の状態に陥ってしまう。
要するにそれは、自分が相手のことを理解できていないという状態であり、もっと相手の能力を知ることによって対応の仕方も考えられる。だからこそ、自分のことを顧みて改める。つまり、「自責」によって自分自身をより良いものにしていくのである。それが、成長するということである。
職場において「自分の責任で生きる」という非常に重要なことについて、教えられる機会が少ないのではないだろうか。自分が変化したり、成長したりすることがなければ、うまくいくものもうまくいかず、最後はあきらめでいっぱいになる。このような空気が組織の中に充満して、みんなが責任を擦り付けあうようになると、何も改善されない停滞した職場になってしまうのである。
【ワンポイント・アドバイス】
経営者や管理職のリーダーシップが非常に大切であり、率先垂範して「自責」で仕事をすること、生きることを実践していく必要があるのではないだろうか。多くの会社で、問題が発生すると、経営者が部下のせいにし、その部下は自分を守るために更に部下や同僚のせいにする。そんな悪循環が起こると、社内に自他を尊重しない風土が出来上がってしまうのである。リーダーは意識して率先垂範し、「自責」できる大切さを伝え、部下に教えていく必要があるのではないだろうか。一緒に考えたり学んだりすることが良いのではないだろうか。