『論語』とは、孔子本人が書いたのではなく、孔子の死後、彼の弟子たちが書き付けていた言葉や問答を取り集めて編集したものです。
経営者はもちろん、社会人にとってビジネスマナーは非常に重要なものであり、それがビジネス上の人間関係を築く礎になるものである。しかし、仮にビジネスマナーが良かったとしても、それだけでは物足りなさを感じることもあるだろう。どうしてこのような残念なことが起こるのだろうか。
【原文】
子入太廟、毎事問。或曰、孰謂鄹人之子知禮乎。入太廟、毎事問。子聞之曰、是禮也。
八佾第三 15
【読み】
子、 大廟に 入りて、 事毎に 問う。 或るひと 曰く、 孰か 鄹人の 子を、 礼を 知ると 謂うや。 大廟に 入りて 事毎に 問う。 子 之を 聞きて 曰く、 是れ 礼なり。
【解釈】
孔子先生が大廟に入って祭典の任に当られた時、事ごとに係の人に質問された。それをある人があざけっていった。あの鄹(すう)の田舎者のせがれが、礼に通じているなどとは、いったいだれがいいだしたことなのだ。大廟にはいって事ごとに質問しているではないか。孔子先生はこれをきかれて、おっしゃった。慎重にきくのが礼なのだ。
古代の礼制について詳しいと評判だった孔子が、『前任者に大廟の儀礼や作法について事細かく質問しているのを見て、礼について何も知らない』と揶揄されたのである。その噂を聞いて孔子は、『礼節とは知らないことを知っていると言って優越感に浸ることではなく、その道の先達に敬意を払い、丁重に教えを乞う謙虚さこそが礼の道だ』と語ったのである。相手を見下す傲慢不遜な態度や知的優越感に浸る姿勢こそが、もっとも礼から遠い振る舞いであることを示した印象的なやり取りである。
【ワンポイント・アドバイス】
礼というのは現代で言うマナーのことである。マナーは人間関係を円滑にするための常識やルールのようなものとして理解されているが、100点満点の答えではないと私は考えている。もちろん、マナーの本を購入すると書いてある内容を覚える必要はある。しかし、それ以上に、その常識やルールが出来上がった理由を知ることが重要なのであり、そのもとにあるものが、「思いやり」である。
今回の論語の一文の中にある前任者(先達・先人)を敬うということ、つまり、今まで努力したり工夫したりして積み重ねてきたことを尊重し、敬意を払うことこそが、思いやりなのではないだろうか。関係する全ての人々の思いを深く理解し、自己中心的な発想にならないように経営理念や行動指針を作ってみませんか。そして、仲間と共に素晴らしい経営を実現したい方、是非とも一緒に取り組んでいきましょう。