『論語』とは、孔子本人が書いたのではなく、孔子の死後、彼の弟子たちが書き付けていた言葉や問答を取り集めて編集したものです。
仕事をしていると、うれしかったり、悲しかったり、楽しかったり、つらかったり…と、いろいろな感情が起こる。部下を見ていると、相手の感情が理解できないことがある。あるいは、TPOにふさわしい態度や行動ではないと感じ、「なぜそうなるのか?」と、その意味を理解できないことがある。さて、そのような時、リーダーはどのような心の使い方をするべきなのだろうか。
【原文】
子曰、居上不寛、爲禮不敬、臨喪不哀、吾何以觀之哉。 八佾第三 26
【読み】
子 曰く、 上に 居て 寛ならず、 礼を 為して 敬せず、 喪に 臨んで 哀しまずんば、 吾 何を 以てか 之を 観んや。
【解釈】
孔子先生がおっしゃった。
「人の上に立って寛容でなく、礼を行なうのに敬意をかき、葬儀に参列しても悲しい気持になれない人間は、どうしようもない人間だ」
【ワンポイント・アドバイス】
寛容さを欠き、敬意を欠き、哀れみの情を欠いていたら、どんなに頭が切れたとしても、弁が立ったとしても、リーダーとしては失格といえるだろう。人の上に立つというのは、生易しいものではないのである。
寛容とは、「あるがままに人を受け入れる」ということである。仁という言葉を活用していうならば、「人を許す仁」であり、最も高度なものであるといえる(ホームページ「論語に学ぶ会」https://www.rongoni-manabukai.jp/ 参照)。
上記の第四段階まで来れば、仁のプロといえる。仕事で、滑ったり転んだり、泥を被ったり、煮え湯を飲まされたり、泣いたり笑ったりしながら、許すということを知る。その結果、「お互いさま」と「お陰さま」という感覚を身に着けていくのである。しかし最近、このことがわからない「不感症」の人が増えている。新入社員ならいざ知らず、このような人がリーダーになると、自ずと組織の活力が失われ、崩壊へと向かうものである。
本田宗一郎曰く、「人を動かすことのできる人は、他人の気持ちになれる人である。そのかわり、他人の気持ちになれるというのは自分が悩んだ経験があるということである。自分が悩んだことのない人は、まず人を動かすことはできない」。最近、心の動かない若者が増加しているといわれている。それは、物事にチャレンジし、悩んだり苦しんだりする中で、心を動かすという経験をしていないことが原因なのではないだろうか。
みんなで心震えるような経営をしたいと考えている方がいらっしゃいましたら、是非とも御声掛けください。感動を共有する理念型経営を実践していきましょう。