『論語』とは、孔子本人が書いたのではなく、孔子の死後、彼の弟子たちが書き付けていた言葉や問答を取りまとめたものです。
経営をしていると部下の言動に腹が立ったり、残念な気持ちになったりすることが多い。他の組織を見ていると、部下がとても素直に行動し成果を上げている場面に出会うことがある。この違いはどのようなことから発生しているのだろうか。
【原文】
子曰、吾與回言終日、不違如愚。退而省其私、亦足以發。回也不愚。
為政第二 9
【読み】
子 曰く、 吾、 回と 言うこと 終日、 違わざること 愚なるが 如し。 退きて 其の 私を 省みれば、 亦た 以て 発するに 足る。 回や 愚ならず。
【解釈】
孔子先生がおっしゃった。
「顔回と一日中話していても、顔回は従順であり私の意見に対する異論や反論をすることがまったくない。まるで、自分の意見のない愚か者のように見えるかもしれない。しかし、私の前から退いて一人になった時の顔回をよく見てみると、私の道からヒントを得て実践する者として思い当たる行動をしている。顔回は決して愚か者ではない。」
【ワンポイント・アドバイス】
顔回(顔淵)とは、孔子が最も深く愛し、将来を期待した高弟である。顔回は、巧言令色を好まず議論で積極的に意見を述べることも殆どなかったが、寡黙な態度を保持しながら内面に徳の高さを感じさせる人物であったといわれている。ここで「発らか(あきらか)」と書き下した部分は、「何かを感じ取らせる・思い当たる」という意味であり、寡黙で言葉によって智謀を発揮しない顔回の「隠された徳」を、孔子が見出したのである。
顔回は、孔子の言葉の中から自分にとって成長につながると感じられるものを確実に実践した人であるということができる。同じ話を聴いても、自分には関係がないとか、役に立たないと否定的に捉えるのではなく、自分に足りないことであれば補おうとしたり、自分の考えと一致したならば、更に伸ばそうとしたりすることができるのである。
同じ「事実」を見ても、人は認識の仕方、つまり、視点によって、その内側に感情や考えというような「真実」が起こる。この「真実」は人によって異なるが、善に見ることができれば善の行動が起き、否とみればその情報を活用することができなくなる。私たちは、場面や状況に合わせて正しく認識することが重要なのである。
つまり、前向きに捉える力を持つ人は成長し続けることができるのであり、経営者としては最も重要な資質であると考えられる。このような経営者はその従業員を性善たらしめる影響力を持つことができる。その軸ともいえる理念や哲学を組織の中に浸透させたい方、是非ともお声かけくださいませ。素晴らしい経営を共に実現していきましょう。