『論語』とは、孔子本人が書いたのではなく、孔子の死後、彼の弟子たちが書き付けていた言葉や問答を、取り集めて編集したものです。
一般的な経営者としての責任とは株主の利益を確保することであり、もう少し広げて考えると、その利益を最大にするようなステークホルダー(利害関係者)間の調整を図ることであると言える。ステークホルダーの中における社員がないがしろにされ、会社に愛する忠誠心の低い状態に陥ることはないだろうか。それでは、どのようにしたら、従業員のやる気を維持・向上させることができるだろうか。
【原文】
憲問恥。子曰、邦有道穀。邦無道穀、恥也。 憲問第十四 1
【読み】
憲 恥を 問う。 子 曰く、 邦 道 有れば 穀す。 邦 道 無くして 穀するは、 恥なり。
【解釈】
憲が役人としての恥についてたずねた。
孔子先生が応えておっしゃった。国に政治が正しく行なわれ人民の生活が安定している時、仕えて給与をもらうのは恥ずべきことではない。しかし、国に政治がきちんと行われず乱れ人民が苦しんでいるのに、その給与をもらうのは人として恥ずべきである。
憲とは孔子の弟子の名前で、姓は原(げん)、 名は憲、字は子思のことである。清貧を好み、自分の信念を頑固に守る狷者であったと言われる。政治家のあり方に対して、孔子に意見を求めた一文である。
【ワンポイント・アドバイス】
政治家のあり方に対する問いであるが、これは経営者にも通ずるのではないだろうか。経営目的は、社会への貢献と顧客の満足、そして、社員の物心両面の幸福を追求することであるが、そのためには十分な利益を得て、企業の存続と成長を果たすことが経営目標と言えるだろう。
もし、十分な利益を確保することができず、十分な賞与を支給することができない状態だったとしたら、それは誰の責任だろうか。よくあるパターンとしては、経営者が社員の能力と努力が不足しているということを理由に、賞与や給与まで減額するということがある。賞与は業績連動型として減額となることは多々あるし、むしろそうするべきであるという見解を私も持つが、利益が上がらないことを社員の責任にするのは間違っているのではないかと思う。
本当に社員の物心両面の幸福を追求するのであれば、あえてその責任を経営者が手繰り寄せ、自分の至らなさの結果であると認めたときに、社員に責任と勇気を与えることができるのではないか。そして、経営者の責任と覚悟こそが、組織を活性化させる唯一の方法であると主張したい。
社員と経営理念を共有し、その実現のための戦略を提示し、社員を勇気づける経営を実現したい方がいらっしゃいましたらお声掛けください。経営者としての誇りが感じられる経営を実現していきましょう。