『論語』とは、とは、孔子本人が書いたのではなく、孔子の死後、彼の弟子たちが書き付けていた言葉や問答を取りまとめたものです。
部下のコミュニケーションのタイプを見ていると様々なパターンがある。言葉は多いが行動が起こらない人もいれば、言葉は少ないが行動は起こる人もいる。どちらのパターンが組織の目標達成にとって有効なのだろうか。あるいは、組織にとって本当に大切なことはどのようなことなのだろうか。
【原文】
子曰、古者、言之不出、恥躬之不逮也。 里仁第四 22
【読み】
子 曰く、 古者、 言の 出ださざるは、 躬の 逮ばざるを 恥ずればなり。
【解釈】
孔子先生がおっしゃった。
昔の人が軽々しく言葉を口にしなかったのは、やることが言うことに及ばないことを恥じたからである。
要するに、ムダなこと、出来もしないことを格好つけてぺらぺらとしゃべることは恥ずかしいこととされてきたということである。
【ワンポイント・アドバイス】
口先だけで実行の伴わない人を称して「うどん屋の釜」という。うどん屋の釜の中は「湯だけ」、つまり「ゆう(言う)だけ」の人だということである。簡単に言うと、口だけで信用できない人という意味であり、望ましくない人の一つのパターンであると言える。その一方で、変化を好まず、現状を守ろうと必死になる人がいる。過去の成功体験があると、余計にその栄光にしがみつこうとして、現状を打破しないままとなる。要するに、前進しない分、退歩が始まっているという望ましくない人のもう一つのパターンである。
自分を鼓舞する、あるいは人に影響を与え勢いをつけるために有言実行を良しとする組織も多く、発言するという手法は有効であると考えられる。しかし、実行されないとオオカミ少年の様なうそつきや、責任感のない軽々しい人、という印象になるものである。
チャレンジという言葉があるが、非常に勇ましく、聞き触りが良いものである。高い目標を設定し、現状を否定しながら新しいものを想像していくプロセスであり、人の生き様が形になるものであるからである。しかし、実は大変な困難や危険を乗り越えていく必要があるものであり、それを十分に理解した上でやり切るという覚悟を決めて言葉にしたり、行動を起こしたりすることが必要である。まさにそれが、チャレンジなのである。
理念やビジョンの実現に向けて、オポチュニティ(機会)とリスク(脅威)を捉え、実現するという確信を持って前進する経営を実現したい方がいらっしゃいましたら是非ともお声かけくださいませ。