『論語』とは、孔子本人が書いたのではなく、孔子の死後、彼の弟子たちが書き付けていた言葉や問答を、取りまとめたものです。
生きていると、過去のことでクヨクヨ悩んだり、未来のことで不安が起こったりする。例えば、家業をしていて業績が良いと、いつまでこの調子は続くのだろうかと考えたり、経営が悪くなるとこの先どうなるのだろうかと考えたりする。ついつい神頼みをしたくなってしまうのである。このようなときどうしたら良いのだろうか。
【原文】
季路問事鬼神。子曰、未能事人、焉能事鬼。曰、敢問死。曰、未知生、焉知死。
先進第十一 12
【読み】
季路、 鬼神に 事うることを 問う。 子 曰く、 未だ 人に 事うること 能わず、 焉んぞ 能く 鬼に 事えん。 曰く、 敢えて 死を 問う。 曰く、 未だ 生を 知らず、 焉んぞ 死を 知らん。
【解釈】
弟子の季路が、死者の霊魂に仕えることをおたずねした。
孔子先生がおっしゃった。「人に仕えることもできないのに、どうして、死者の霊魂に仕えられよう。」さらに、「恐れ入りますが死のことをおたずねします。」というと、「生もよく解らないのに、どうして死のことがわかろうか。」と戒めた。
世の中に死者の霊魂は存在するのでしょうか。要するに死後の世界、天国や地獄というものはあるのでしょうか。死んでしまうと自分のこの魂はどこへ行ってしまうのか、考えればきりがなく、不安になるかもしれません。
孔子は、目に見えないおどろおどろしいもの、つまり、怪・力・乱・神について語ることを好みませんでした。更に、「死後の世界」について適当に解説することを拒否し、人間では手の打ちようのない死後の世界の問題や死者の霊魂へのお勤めよりは、今をいかに生きるかということを優先したのです。
つまり、死者の霊に仕えるというのではなく、お世話になった人の霊を偲んで、感謝の心を持ち続けることが大切なのではないでしょうか。この世にいるか否かは別の問題として、自分を応援してくれた人への感謝の心で、その期待に応えることが大切だと思います。
【ワンポイント・アドバイス】
人が幸せを感じる要素の一つに、「今を生きる」というものがあります。今この瞬間を精一杯生きるということであり、生きることができるのは「いま、ここ」しかないのです。未来は気が付くと“いま”になっていますし、“いま”は刻一刻と過去になっています。“いま”をいかに生きるかにより、将来は変わりますし、当然、その結果として過去が生み出されていきます。
一日一日をど真剣に生きる。この瞬間に全てをかける。一生に一度の人生を後悔しないものにする。応援してくれた人に感謝し期待に応える。このような、先人が築いてきた知見を活かし、自身の経営理念やフィロソフィーを作ってみたいという方、もっともっと素晴らしい経営を実現したい方は、是非お声かけくださいませ。