『論語』とは、孔子本人が書いたのではなく、孔子の死後、彼の弟子たちが書き付けていた言葉や問答を取りまとめたものです。
歳を取ると若い人を見ている時に不足を感じることがある。どうしても納得いかなくなり叱ることもあれば、ついつい愚痴を漏らしてしまうこともある。どうして、不足していると思うのだろうか。また、どのように考えたらよいのだろうか。
【原文】
子曰、後生可畏。焉知來者之不如今也。四十五十而無聞焉、斯亦不足畏也已。
子罕第九 22
【読み】
子 曰く、 後生 畏る 可し。 焉んぞ 来者の 今に 如かざるを 知らんや。 四十 五十にして 聞ゆること 無くんば、 斯れ 亦た 畏るるに 足らざるのみ。
【解釈】
孔子先生がおっしゃった。
後輩や青年達をばかにしてはならない。彼等の将来がわれわれの現在の状態に及ばないと誰がいい得るだろうか。だが、四十代にも五十代にもなって世の中から注目をひくに足りないようでは、少しも恐れることはない。
【ワンポイント・アドバイス】
歳を重ねるにつれて、「最近の若者は!」とついつい言いたくなってしまうことがある。これは、自分自身や自分たちの世代を肯定したいがために、生きてきた時間の短い若者の未熟な部分を見つけては攻めるという現象である。
しかし、孔子は手厳しいのは、四十代にも五十代になって世の中から注目されないようなレベルでは、その人は恐れるに足らない存在であるとまで言っている。要するに取るに足らない人であるということである。
若者には足りないところはあるが、これから伸びる可能性を秘めているという、プラスの面をみつめることが大切である。確かにコミュニケーションやマナー等、最近の若者には足りない面が多々あると思うが、逆に良い面も必ず持っている。先輩に“一日の長”があるように、後輩にも逆にそれがあるのだから、しっかりと期待をして後輩を指導し、やる気にさせなければならない。
更に、自身が四十代にも五十代になっても冴えないと感じるのであれば、後輩の文句を言う前に、「がむしゃらになってやってやろう」と自ら行動すると良いのではないだろうか。そうすれば、老子が言うように「大器は晩成す」となるかもしれないし、若者たちに尊敬され、大切な生き方を伝えらえるように人になれるだろう。
私たち経営者や幹部社員はどんな時でも自分の理想に向かっている姿を部下に見せたいものである。自分の志やあり方を大切にする理念型経営で、納得のいく人生や経営を実現したい方は是非お声かけください。